たいせつなのは家族の愛情

たいせつなのは家族の愛情

妻は私にオヤジの異常を指摘したといいますが、私は記憶が定かでありません。ただ、そのすぐ後に名古屋の姉を訪ね、両親の介護について話し合おうとしているから、妻からなんらかのアドバイスを受けたのでしょう。それにしても、私は月に一度は帰省してオヤジと顔を合わせていたのですから、オヤジの異常に少しは気がついてもよさそうなものです。まったく気がつかないのだから「あんたは、まったく、なにしに帰省していたのよ」と妻に能天気呼ばわりされても、返す言葉がありません。

 

 

二人の老親の進行の度合いの違いは介護を受ける環境、すなわち場所と家族関係の違いでしょう。父の場合は住まいが変わり、頼りにしていた配偶者が病に倒れました。兄たちとの生活にも慣れていません。父自身、介護する者との間によい関係を築いてきていませんでした。そのために進行を早めてしまったように思われます。一方、義父は相変わらず気心の知れた義母や義妹といっしょに同じ家で住んでいます。生活環境に変化はありません。家族のよい関係はずっと維持されていました。

 

家族が対応しないとだめ

義父の混乱には義父の気性を心得ている家族が対応してくれるので、たとえ多少の行き違いが生じても傷が大きく広がってしまうようなことがなかったのです。痴呆症という病気は、家族とのよい関係によって患者の不安を小さくさせます。二人の老親の環境の違いは歴然でした。もちろん痴呆患者を介護するに当たっては、介護者が病気への知識と理解を深めていることに越したことはありません。夫は痴呆症の私の父の様子を見聞きしましたから、充分とはいえないまでも多少の心得がありました。

 

 

病気への知識と理解ある者のサポートは義父の進行をゆるめることに有効だったはずです。そして、いちばん重要なのは患者にかける家族の愛情でしょう夫P 患者を愛しいと思う家族のお世話は最も優れた治療法です。義母は特別に介護のノウハウを学んでいたわけではありませんが、義父の気性を心得て、混乱をゆるめる方策を毎日いっしょに生活を共にするなかで会得したようでした。義母の義父に対する愛情は、痴呆症の患者を介護するうえで知識や技術より勝るものです。「しかつてはいけないよ。こばかにしてはだめだよ。その二つを守っていれば、恐ろしいお父さんに変身しないからね」今でも義母は義妹や義姉、ヘルパーさんに、ことあるごとにただしていると夫はいいます。さすがです。義母のいうとおりです。介護者が声を荒げてしまつては、かえって介護をたいへんにしてしまいます。不安感を増長させ、感情をコントロールできない患者は、ますます理性を失って、手がつけられなくなってしまうのです。